僕の願いは

20170608-1

 
もし生きることがあら野を渡るようなものなら
あら野の真ん中で
ここは、緑豊かな草原なんだと自分をだますより
せめて少しは自分が強くなってこの道のりを終えたいと祈れるしたたかさがほしい
 
もし生きることが木の葉に乗って海原に出て行くようなものなら
波と波の間で
誰かに会ったときに「こんな馬鹿げた冒険に出た」言い訳を考えているより
ひたすらに島に向かって漕ぎ続けている姿を見せられる愚直さがほしい
 
もし生きることが避けがたく運に翻弄されるものなら
失意にあって
もっと厳しい宿命に負けない頑丈なよろいを願うより
よろいなんか脱ぎ捨てて、涙について微笑みながら語れるしなかやさがほしい
 
もし生きることが息を切らしながら山を登るようなものなら
頂に立った時に
そのことをふもとの人たちに誇るための雄弁さより
もっと高い山がたくさんあることに気づける謙虚さがほしい
 
自分を守るためのよろいの話より
あら野で咲く花に通じるいとおしさについて
海原の頭上に広がる何億光年に通じる永遠について
山頂に吹く風に通じる恵みについて
僕はあなたと語りたいと思っているのです。
せっかく同じ時に生きるという奇跡をいただいているのですから。
 
 
なぜ、こんな文章を書いたのかなあ…自分でもよくわかりません
ちょっと手こずった仕事を終えて、1本1,300円のけっして高くはないイタリアのワインを飲みながら、YouTubeで山下達郎のずっとずっと昔の曲を聞いていたせいかもしれません。気がつくとちぎった紙の片隅に書いてました。僕の頭というか心の中では、たまにはこんなことも起きます。
 

My eyes on you

20170529-1

My eyes on you …というシンプルな繰り返しが心に沁みてくる曲の作詞をした人の話を少しご紹介したいと思います。
 
ホレイショ・スパフォード(Horatio G. Spafford)は1828年にアメリカのシカゴで生まれています。弁護士であり、2つの大学の法学部の教授でもありました。彼の弁護士事務所は、シカゴで最も成功した事務所の1つであると言われました。彼には4人の子供がいたそうですが、唯一の男の子を幼くして伝染病で亡くします。その半年後、1871年に、17,400棟が全焼したシカゴの大火災に見舞われ、財産の大半を失います。
 
ようやく立ち直りかけた2年後に、心の癒しを求めて、ヨーロッパへの家族旅行を計画します。しかし、彼は出航直前になり、破産した自分を助けてくれた恩師の急場を助けるため、後から行くことになります。1873年1月15日、多くの乗客を乗せたフランス旅客船は、ニューヨークの港を出港しました。
9日後、彼はとても短い1通の電報を受け取ります。それは彼の奥さんからのものでした。「私だけ助かった」
 
1月22日の夜、みなが深い眠りに就いている午前2時頃、彼の家族を乗せた客船は大西洋の真ん中でイギリスの大型船ロックアローン号と正面衝突しました。そのわずか12分後に、船は226名を乗せたまま海底深くに沈んでいきました。この事故でスパフォードは3人の娘、全員を亡くします。奥さんだけが救助されました…さきほどの一言だけの電報はそのことを表していたものだったのです。
 
この詩の中で、私の目はいつもあなたに向けられているというmy eyes on you という歌詞が何度も出てきます。僕はこの部分を次のように解釈しています。youは、1つは子供のこと。決して子供たちのことを忘れないという気持ち。そして、彼はクリスチャンでしたから、もう1つのyouは神のことを意味しているようですが、僕はそれは言い換えれば「自分の心が自分の魂に誓った生きる目的」ただそれだけを見ていくことでこの試練を生きていける…という意味だと考えています。
アメリカでは、何らかの理由で子供を失ったり、何かに絶望をした人に、愛され続けている歌です。
 
世の中は残念ながら平等ではありません。人生という航海は、彼の家族が乗った客船のように、事故に遭うこともあるでしょうし、思わぬ嵐に木の葉のように翻弄されることもあります。僕らには、かならずこのような試練や不幸に見舞われるときがあります。どうして自分だけこんな目に合うのか?と不運を恨みたくなるときが必ずあります。
自分のことだけをやっていれば、誰に迷惑をかけているわけでもないんだから、それでいいじゃないか…そう思いたくなるときもあると思います。でも、100年に一度の津波も防げるはずだった防波堤をいとも簡単に津波が超えたように、不幸や試練は自分が営々と築いてきた壁やプライドをいとも簡単に破って、どうすることもできない圧倒的な力で僕らをなぎ倒します。
 
それでも、僕らは自分の涙を心の中で抱きしめながら、My eyes on youに帰っていく…確固たる自信なんてとてもありませんが…でもきっと僕自身もそうであってほしいと願います。それと同じようにみなさんもMy eyes on youに帰っていけるように…心から祈ります。
 

リーダーシップについて学ぶ その2

– リーダーシップとは自分の価値を高めるたけではなく、人の価値を高めることを考える心 –

20170528-1

昨日に続いて「グローバルリーダーシップ」を受講した報告です。
インターネットより情報格差が無くなり、組織がフラット化しました。「知っている」には意味がなくなりました。「その中の何を取り入れるのか、取り入れないのか」「どう行動に結び付けるのか」「どう動機を提供できるのか」…知っていることの量ではなくて、さっと使える引き出しがたくさんあるか…が問題になりそうです。
これは会社ばかりでなく、親子や夫婦の関係あるいは学校にも根底からの変化をもたらしているように思えます。親や夫や先生には、権威によるものではなく、フラット化に対応したリーダーシップによるけん引力が求められているのだと思います。
情報が集中していた時代と違い、いまは情報が高度化する一方で分散しています。昨日まで正しかったことが今日には訂正がされなくてはならない時代です。誰かの言うことを100%信じるのは危険ですし、100%でないから信じないというのもとても危険です。この部分は吸収する、でもこの部分は関係しない…良い情報を上手に吸収するクセをつけないと、高度な情報時代には対応できないように思います。
 
資産額が10兆円とも推定されているビル・ゲイツ。3人の子供には「携帯を持つのは14歳になってから」と決められていたそうです。インターネットやSNSの持つ可能性を最も深く理解しそれを現実化していくフロントに立つ人物が、一方でそのマイナスの部分にも冷静に目を向け対応しようとしています。彼は、「すべての子ども達は、大きな可能性を秘めている。重要なことは、質の高い時間を多く持つことだ」と語っています。社会や組織の成り立ちをも変革するような技術革新が続く社会では、良い面と悪い面を冷静に分け、良い面だけをどんどん吸収していく、あるいは表面的なことではなくより本質を求める素質がどうしても不可欠となるようです。
 
3人目のジョン・マックウェルは、リーダーをごく短い言葉で次のように表現しました。「あなたは、人々の価値を高めるために仕事をしていますか? それとも自分の価値を高めるために仕事をしていますか?…リーダーとは前者のことを言います。」さらに、リーダーを形成する要素は、①相手の状況を把握し、②意図的に(能動的に)自分の人生のことを考え、③人に存在価値を与える人である、と定義しました。
会社や人生が発展していくということは、上り坂にするということを意味しています。ですから発展したいなら、自ら上り坂を選択していかなくてはなりません…と語ります。彼の「発展」に対する基本的な姿勢は、稲盛和夫さんが言っている「2つのどちらを採用するかに悩んだ時には、難しい方を選択しなさい」と通じるものがあります。人は高きを求める一方で、怠惰に下って行こうとする生来のクセを持っていると警鐘をし、受け身の生き方をしていると、自動的に下りはじめてしまうと「不断の心構え」を強調していました。

リーダーとなる人、あるいは将来リーダーとなるべき人に彼は、「人の価値を認めていますか? 人の価値を高めるために働いていますか?」と最初に質問するそうです。
彼はリーダーに求められる「マインド」として次の5つを掲げました。

①人の価値を認める
②人の価値を高めるために考える
③人の価値を高める方法を考える
④人の価値を高めるために行動する
⑤人の価値が高まるように励ます
 
最後はビル・ハイベルズです。
「世の中は問題や災難であふれています。政府の役割は枠組みをつくることですが、その中核をなす心の変革は政府ではできません。政府に期待してはいけません。心の変革を起こす社会となるためには、良い経済と、良いビジネスに満ちた社会であることがどうしても不可欠となります。良いビジネスと良いリーダーを排出し続けることが、良い社会のバロメーターです。そのことに貢献するために世界の128か国以上に組織を展開しているのです。」
「教育という場ももちろん必要ですが、人の心の変革はやはり実社会において実現できるもの。社会が変わらなくてはならない。そのために、あなたができることを考えるのは、この時代に生きる人の責任です。いやおうなしに私たちは社会の渦の中にいるので、無関心はすなわち悲惨な結果を生む元凶となります。」日々の生活に精いっぱいで、僕らはともすれば足元ばかりに目を向けがちですが、目線を上げて、広く視界を取ることが必要なようです。彼は「自分のやるべきことさえやっていれば…」という価値観に対してかなり批判的です。
 
「これまでの経験から、すぐれたリーダーはこの種の勉強の機会を積極的に取り入れることがわかっています。野球チームの監督、子供の教育、誰かに影響のある人すべての人に知ってほしいのです。今の社会が本当のリーダーを必要としていることとリーダーの意味を」
(そういえば、セミナーはこのころに6時を回っていました。OLの参加も目立ち始めていました)

「リーダーは長期的にものごとをみる姿勢が必要になります。」彼はチームの発展は一朝一夕でできるものではないと説き、そのリーダーを形成する6つの心の姿勢を次のように紹介しました。

●自分を知る
●自分に対する説明責任を果たしている(言い訳をすることの対局)
●1つの失敗で恐れない
●自分には関係ないという気持ちを捨てる
●新しいことにチャレンジする
●チームの発言の意味を考える

セミナーの最後に、彼は「人をリードするためには、まず自分をリードできないといけない」と重要なテーマを掲げました。「リーダーシップには失望がつきもの。リーダーの持つ責任を考えるとこわいとさえ感じるものです。リーダーたる人はまず自身の心が満たされていないといけない。健全なリーダーとは、正しい人を、正しい場所で、正しい動機を与える人なのですから」
彼の講演は、厳しい、心の中にくさびを打ち込むような率直な物言いの一方で、人や社会に対する温かい愛情を感じさせるものでした。
 
さて後日談ですが、彼の講演に感銘を受けて、その後すぐに彼の著書を読んだという日本の女性実業家にお会いした際にお聞きした話です。彼の著書には「スケジュール管理は、仕事ややるべきことのスケジュールだけではダメ、どういう人間になりたいのか…そのための時間がスケジュールされていないといけない」と書いてあったそうです。思わず二人で「ん~」と唸ってしました。
 

リーダーシップについて学ぶ その1

– 働くために会社に来てはいけない –

20170527-1

予感めいたものがありました。
何千年と続いた「情報を制する者が権力を持つ」という社会の成り立ちが、根底から崩れています。インターネットの登場で、情報格差がなくなり、組織はフラット化しています。記憶の蓄積はもはや脳が担うものではなく、ストレージという「人体の外」が中心になりました。先日、会計士の先生とお話をしていたら、会計ソフトにもクラウド化とともにAIが取り入れられ始めていて、近い将来に今ある経理の仕事は無くなりそうだということでした。定型化が可能な判断業務もどんどん「人の外」に置かれようとしています。
フラット化する社会の中で、予感めいたもの…それは危機感にも近いものですが、会社の成り立ちも変化しているはずだという思いが、僕の中で「ささやき」から「警告」になってきました。そんな折に、グローバルリーダーシップを学ぶセミナーがあったので、思い切って会社全体で受講することにしました。
 
セッションの講師は、ビル・ゲイツの奥さんであるミリンダ・ゲイツ、リッツカールトンホテルの創業者であるホルスト・シュルツ、世界の政治家や経営者にリーダーシップとコーチングのあり方を説いているジョン・マックウェル、そしてグローバルリーダーシップを説くために世界120か国に機関を設立しているビル・ハイベルズの4人でした。ビル・ハイベルズ以外はビデオによる講演です。
 
ミリンダ・ゲイツのお話は、利益には責任が伴う、大きな資産には大きな責任が伴うというのが骨子でした。総資産10兆円に伴う責任というものがどのようなものであるかは、僕の想像の範囲を超えていますが、これほどまでに「貢献」や「還元」に心を砕かなくてはならないのかという驚きがありました。お金持ちになることは、それはそれでたいへんなこと…もしかしたら、そういう心があるからお金が集まるのかもしれませんね。
 
さて、二人目のホルスト・シュルツの話は、ドイツなまりの英語が強烈でしたが、示唆とウイットに富むものでした。サービスの要素は、期待、タイムリー、気持ちよく受け取っていただく…3要素から成り、良いサービスとは、要素とかぶりますが、①完璧さ、②タイムリー、③心遣い、の3つのポイントから考える必要があるとのこと。サービスの印象は最初の10秒で決まり、お客様のニーズを把握してそれに応えるだけではダメで、その神髄は、満足を継続し満足を信頼に進化させることにあると彼は言います。ともすれば、目の前の課題に応えることに精いっぱいで、1つ解決すると安心して、その継続を忘れがちになる僕には耳の痛い指摘です。解決してほっとしたときに、「まだ問題は残っていないか」を考えるためには、とてもタフでなくてはなりませんね。でもそれが真髄なのです。
 
彼のホテルグループでは、上層部からアルバイトの末端に至るまで、一人一人に「働くために会社に来てはいけない。エクセレント(卓越したもの)を生み出すために会社に来なさい」を徹底しているそうです。「仕事はちゃんとこなしている」という視点は、すでに社員の価値にはならない時代になったというのが彼の見識です。あなたがVIPなのではなく、あなたの仕事がVIPなのであり、社員には目的意識と所属意識をしっかり持つことを明確に求めているそうです。「リーダーには言い訳する権利はない」という彼の言は、リーダーは、権威を表すものではなく、見識を表わすものだということを意味していました。
製造や教育も含めて、すべてのことがサービス化していく中で、リーダーの役割はとても重要で、リーダーなしにはどんな社会の単位も成り立たないことがわかります。
 

やっつけ仕事でも、ちゃんとやっつけろ

20170425-1

今は亡き三原一幸先生に縁があって、3年間ほど月に1回お会いしてご指導を仰ぐ機会を得たことがありました。僕は縁に恵まれた人間だと心から思っています。きっと特に取り柄もなく、学習能力にもどこか欠落したところがある人間なので、心配した天の粋な計らいの1つなのだと思っています。

論文を発表することになり、締め切りギリギリになってやっとの思いで、添削を依頼したときに僕はかなり厳しく三原先生に叱責を受けました。「僕はうそをつく人と納期にギリギリの人は信用しない。なぜなら人に迷惑をかけてもそう言う人は平気だからだ」と言われました。その当時、うそが人に迷惑をかけることは直観的に理解できたのですが、「納期にギリギリの人」がそれと並んでいることに戸惑いました。うそには悪意があるけどギリギリには悪意はないのに…こんなに頑張ったのに…頭の中では呪文のように言い訳が駆け巡っていました。しかし、翌日に先生から返された赤字付の添削結果をみて、その理由がわかりました。論文の内容に合わせて、さまざまな資料がそこに加えられていました。一晩でどうやって、そこまで資料を集められたのか…赤字だらけの論文には、先生がどれほど深く論文を吟味して検討されたのかがよく表れていました。僕が仕事の合間に苦労してたいへんな思いをして書いたつもりの論文でしたが、ひと晩の先生のご苦労の方がはるかに深く、ずっと厳しいものだったのです。大げさではなく命を削るような気持ちが赤い文字にはありました。

社内にせよ、社外にせよ、ひとたび発表する文章であるなら、せめて温める時間…自分の気づきがわき上がってくる時間が必要です。ましてや、人に託す文であるならなおさらです。そうでなければ、伝えられるもの、理解してもらえるもの、何かを相手の心に残せるものが生まれるはずはないのです。三原先生が、うそをつく人と並んで「納期にギリギリの人」を挙げたのには理由がありました。そういう仕事はやはり体裁だけを整えようとした「うそ」なのです。

さて、そうは言っても「やっつけ仕事」は社内から無くなりません。さまざまなもっともらしい言い訳が飛び交っています。たしかに、僕らは忙しすぎるのかもしれません。でも、中途半端な仕事は、やらないよりかえって悪い火種になることが多いのも事実です。やった気になって、意識からはずしてしまうのは、時限爆弾をしかけたのと同じです。あるいは、人の時間を奪うウイルスを忍び込ませるのと同じです。迷惑なのは、本人の手を離れた後で、同僚やあるいはお客様の手に渡った後で、時限爆弾はチクタクをはじめ、ウイルスは増殖をはじめることです。ときにはやっつけ仕事になってしまうことはあるかもしれません。でも、時限爆弾の配線がはずれていることを、ウイルスはやっつけていないことを確かめて、「やっつけ仕事」はやっつけてしまいたいものですね。

三原一幸先生に感謝。