僕の願いは

20170608-1

 
もし生きることがあら野を渡るようなものなら
あら野の真ん中で
ここは、緑豊かな草原なんだと自分をだますより
せめて少しは自分が強くなってこの道のりを終えたいと祈れるしたたかさがほしい
 
もし生きることが木の葉に乗って海原に出て行くようなものなら
波と波の間で
誰かに会ったときに「こんな馬鹿げた冒険に出た」言い訳を考えているより
ひたすらに島に向かって漕ぎ続けている姿を見せられる愚直さがほしい
 
もし生きることが避けがたく運に翻弄されるものなら
失意にあって
もっと厳しい宿命に負けない頑丈なよろいを願うより
よろいなんか脱ぎ捨てて、涙について微笑みながら語れるしなかやさがほしい
 
もし生きることが息を切らしながら山を登るようなものなら
頂に立った時に
そのことをふもとの人たちに誇るための雄弁さより
もっと高い山がたくさんあることに気づける謙虚さがほしい
 
自分を守るためのよろいの話より
あら野で咲く花に通じるいとおしさについて
海原の頭上に広がる何億光年に通じる永遠について
山頂に吹く風に通じる恵みについて
僕はあなたと語りたいと思っているのです。
せっかく同じ時に生きるという奇跡をいただいているのですから。
 
 
なぜ、こんな文章を書いたのかなあ…自分でもよくわかりません
ちょっと手こずった仕事を終えて、1本1,300円のけっして高くはないイタリアのワインを飲みながら、YouTubeで山下達郎のずっとずっと昔の曲を聞いていたせいかもしれません。気がつくとちぎった紙の片隅に書いてました。僕の頭というか心の中では、たまにはこんなことも起きます。