100分の5を引き起こす その3 運の受容体が僕にはあるか!?

居酒屋の隣のテーブルでは、サラリーマンがしきりに「あいつは運が良かっただけさ」とか「運だね。実力じゃないよ」といった議論をしています。たとえば、野球の試合を見ているとポテンヒットもあるし、ラグビーでもラッキーバウンドがしばしばあります。それが試合を決めてしまったりもします。そう考えると、幸運は珍しいことではなく、ごくありふれた存在であるような気がしてきます。

僕らは、なぜ幸運をつかむためのキーとして、試行錯誤の末に、「愛」、「勇気」、「謙虚」を選んだのでしょうか? どの言葉も自分の心に関するものばかりで、なぜ「天の配剤」や「天の采配」を思わせる言葉ではなかったのでしょうか?

運は、きっと春の雨のように、たくさん天から地上に向かって雨粒のように落ちているんだと思います。では、何が「幸運」と「運が悪い」を分けているのでしょうか。結局、受容体としての心がないと運は落ちも幸運としての芽を結ばないのではないでしょうか?
「愛」、「勇気」、「謙虚」はその受容体を強くそして大きくする三大要素だったのです。言い換えれば、僕らはこの3つを大切に自分の中に育てることで、運の受容体を大きくできるのです。
いくら運をつかんで大きな幸運にできたとしても、それでうぬぼれて「謙虚」を失ったり、独りよがりになって「愛」を減らしたり、安住して挑戦する「勇気」を無くせば、当然その次の運は幸運とはならず、運は尽きてしまいます。きっと冒頭のサラリーマンは、そのことをたくさん目撃してきているので「運は当てにはならない」と思われているのでしょう。でも、当てにならないのは、運の方ではなく、たやすくうぬぼれる僕らの心の方かもしれません。

運は春の雨のように降り注ぎ続けています。問題は、僕にある、そしてチームにある、受容体がどれだけ強いか、そして、どれだけ大きいかにかかっています。僕らがたどり着いた3つの言葉の本質は、問題は運が多いか少ないかの注ぎ手にあるのではなく、無尽蔵に注がれていることを信じて、自分の心を大きくしていっているかどうかという受け手側の問題であるという核心にあったわけです。
幸運がどうしても必要です。そうであるなら、高くそして大きく未来を信じ、今できることに集中したいですね。