この試練の設計者

大きな試練にあったとき、幾度となく人に助けられて、何とか乗り越えながら今日まで来ました。
振り返って考えてみると、僕を救ったのは、物質的な何かではなく、その方の考え方や姿勢でした。
物質的なものはむしろ、僕の「勘違い」を長引かせる効果しかなかったかもしれません。
縁あって、ある友人の試練に力を貸すことになりました。とは言っても、僕に人を救う能力や試練を消す技量はありません。ただ、似たような試練をかいくぐってきた人間なので、その経験から準備すべきもの、持つべき心といったものを、予想できるかもしれない…もっと言えば恩返しの機会なのかもしれないと思ったのです。
でも、実際に手がけてみると、過去の試練の記憶がまざまざと蘇ってきて、僕の心を大きく揺さぶることもありました。足がすくんでいる自分に気づき、こわさを知っていることの、良い面と悪い面をまざまざと見た思いがします。僕には無理だと思ったことが、これまでに少なくても3度はありました。
今回は、その不安に駆られて、夜通し眠るともなくまどろんでいたときに見た夢のお話です。

僕は誰かといっしょにいます。「僕はどうしたらいいのでしょうか?もうわからないのです」と言うと、その人は「お前は私と一緒に決めたことを忘れたのか?」と言います。その人は…と言っても形はよく見えません。まぶしい雲を見ているような感じです。返事ができないでいると、その人は僕にこう語ったのです。
「私はおまえに宿題を出す。やがてお前はこの世に生まれる。お前は自分を深く愛さなければいけない。お前はこれから愛する自分がどんな人生を送るのかを設計しなければならない。さあ、どんな人生にするのか…」すぐさま私の脳裏に浮かんだのは、バラ色の幸運にだけ恵まれた人生…。
しかしそれを具体的に考えるより早く、その人から、「ばかもん!人はだれしも大きな心の闇を抱えている。愛するということは、その闇に光がもたらされることを願うことじゃ」といきなり怒られました。「まず闇を闇として意識させなくてはならない。闇のまま心の奥にしまい込んでしまうと光は永遠に当たらない。でも、闇はいつの間にかその人の日常をつくり、闇といっしょにいることが自然で、あたかもそれに光を当てることは、自分を破壊することだとさえ思うほどの力を持つようになる」
結局、僕が作った自分の人生のシナリオは、『最初は幸運に恵まれて、生きることは楽しいと思うものの、その幸運によっていい気になった自分は、逆に弱点というかトラウマと嫌でも向かい合うことになり…』というものでした。自分の心に深い杭を打ち込む、その杭を隠そうとして、さらに奥に打ち込んでしまい、自分の意識から見えなくしようとする…でもそれは繰り返す頭痛のように、心に重い痛みを与え忘れたい杭の存在を意識させる、そして、ついに隠し通せなくなる宿命と遭遇する…
その人は、そのシナリヲを見ながら、僕に言ったのです。「杭は決して独力では抜けない。必ず助け船が必要だ。そのキーとなる人との出会いを用意しなさい。そのときは自分ではそれとわからず、後から気づくような出会いを用意しなさい…それが何より重要なのだ」

さて、時間は今に戻されました。まぶしい雲は遠ざかりつつあります。その人の声はどんどん小さくなります。「お前の人生はそれで正しいのだ。どの試練も自分への愛から生まれたものなのだ。最後に二人で用意したものを思い出しなさい。大事なことは、お前が何をするか、どう努力するかではない。それより探しさない。二人で最後に用意したものを」
夢はそこで終わりました。気が付けば窓の外はようやく白むころ…となっていました。