やっつけ仕事でも、ちゃんとやっつけろ

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今は亡き三原一幸先生に縁があって、3年間ほど月に1回お会いしてご指導を仰ぐ機会を得たことがありました。僕は縁に恵まれた人間だと心から思っています。きっと特に取り柄もなく、学習能力にもどこか欠落したところがある人間なので、心配した天の粋な計らいの1つなのだと思っています。

論文を発表することになり、締め切りギリギリになってやっとの思いで、添削を依頼したときに僕はかなり厳しく三原先生に叱責を受けました。「僕はうそをつく人と納期にギリギリの人は信用しない。なぜなら人に迷惑をかけてもそう言う人は平気だからだ」と言われました。その当時、うそが人に迷惑をかけることは直観的に理解できたのですが、「納期にギリギリの人」がそれと並んでいることに戸惑いました。うそには悪意があるけどギリギリには悪意はないのに…こんなに頑張ったのに…頭の中では呪文のように言い訳が駆け巡っていました。しかし、翌日に先生から返された赤字付の添削結果をみて、その理由がわかりました。論文の内容に合わせて、さまざまな資料がそこに加えられていました。一晩でどうやって、そこまで資料を集められたのか…赤字だらけの論文には、先生がどれほど深く論文を吟味して検討されたのかがよく表れていました。僕が仕事の合間に苦労してたいへんな思いをして書いたつもりの論文でしたが、ひと晩の先生のご苦労の方がはるかに深く、ずっと厳しいものだったのです。大げさではなく命を削るような気持ちが赤い文字にはありました。

社内にせよ、社外にせよ、ひとたび発表する文章であるなら、せめて温める時間…自分の気づきがわき上がってくる時間が必要です。ましてや、人に託す文であるならなおさらです。そうでなければ、伝えられるもの、理解してもらえるもの、何かを相手の心に残せるものが生まれるはずはないのです。三原先生が、うそをつく人と並んで「納期にギリギリの人」を挙げたのには理由がありました。そういう仕事はやはり体裁だけを整えようとした「うそ」なのです。

さて、そうは言っても「やっつけ仕事」は社内から無くなりません。さまざまなもっともらしい言い訳が飛び交っています。たしかに、僕らは忙しすぎるのかもしれません。でも、中途半端な仕事は、やらないよりかえって悪い火種になることが多いのも事実です。やった気になって、意識からはずしてしまうのは、時限爆弾をしかけたのと同じです。あるいは、人の時間を奪うウイルスを忍び込ませるのと同じです。迷惑なのは、本人の手を離れた後で、同僚やあるいはお客様の手に渡った後で、時限爆弾はチクタクをはじめ、ウイルスは増殖をはじめることです。ときにはやっつけ仕事になってしまうことはあるかもしれません。でも、時限爆弾の配線がはずれていることを、ウイルスはやっつけていないことを確かめて、「やっつけ仕事」はやっつけてしまいたいものですね。

三原一幸先生に感謝。

お客様は神様

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「お客様は神様です」と多くの方が商売の基本姿勢として言われます。でもよく考えてみたら、神様とはどういう存在なのでしょうか? お賽銭を入れて拝んだら願いをかなえてくれるのがお客様?…そうではないように思えます。

もし、全知全能の神という意味であるなら、私たちは神様の言うことが簡単には理解できないのかもしれません。世の中にはたくさんの不幸や理不尽が存在します。稲盛和夫さんが「小善は大悪に通じ、大善は非情に通じる」と言われています。この上ない大善の存在であるなら、その心はときにこの上ない非情として映るかもしれません。しかし、宇宙を進化させ、人類を生み出したのも神様の計画であるとするなら、私たちの考えをはるかに超えて偉大なことです。
先端の宇宙の研究によれば、この複雑で壮大な宇宙も、実は重力と弱い力と強い力そして電磁気力の4つで成り立っているそうです。

「お客様は神様です」ということばを広めた三波春夫さんは、どうやらお客様を神様としてみるということではなく、舞台に上がる時の自分の心を表現したようです。舞台に上がる時は、神様に対するときのように敬虔でなければならないという気持ちで言ったものだというご本人の談をどこかで読んだことがあります。

「お客様は神様です」の真意はこんなことになるのでしょうか?

  1. お客様の言動ばかりに目を向けると私たちは混乱してしまう。むしろその計画に目をとめる。
  2. お客様は短い時間軸で見ると非情に思えるが、長い時間軸で考えると正しい。
  3. お客様は私たちの進化を望んでいる。
  4. 複雑に見える現象も実はシンプルな原則で成り立っている。
  5. お客様が問題なのではなく、自分自身が謙虚で開かれた心であるかが問題になる。

そう考えると、やはり「お客様は神様」ですね。

50年目の思いと138億年目の思い

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会社は今日4月13日に創立50周年を迎えました。社長は僕で3代目になります。この1日は、今いる社員とそれを支えてくださっているお客様への感謝とそして創業者が50年前に抱いた志に思いを巡らせていた一日でした。いま会社は真に心ある社員が集う場所となっています。それが50年という歴史が僕にもたらしてくれた「恩恵」です。
今日の僕にはこの会社を生み出した「その原点」を見つけ出し、その原点に感謝をしたいと思いがありました。創業者が50年前に抱いた志を考えるとき、それを生み出した原点はある先輩の後ろ姿であり両親の愛であったようです。その両親の愛を支えていたものは、そのまた両親の愛であり、その両親の愛を支えていたものは、そのまた両親の愛で…どうやら僕の「原点への感謝」は人類の最初の人に捧げられなくてはならないようです。
人の体はすべてこの惑星にある物質で形成されているそうです。そうであるなら、僕はその人類の母である地球に感謝をしなければなりません。でもその地球にも原点はあります。それは138億年も前にさかのぼることになります。
138億年前に始まったドラマの最初の1秒後。宇宙はすべてが光の速度で飛び交う光で満ちた世界でした。温度は1兆度を超え物質はまだ存在していません。宇宙はまだエネルギーの塊です。光の速さを超えて空間を膨張させていました。この1秒間に起きた物理的な変化は、その後の138億年で起きた変化より大きかったと言われています。
そのドラマが始まった最初の1秒の1兆分の1秒よりさらに短い時間、宇宙は光の速さを超えて膨張しています。点は野球ボールくらいに一気に膨張します。その膨張が今ある無数の銀河の分布の決めたようです。
さて、ドラマが開始されたとき、空間と時間は限りなく小さい一点の中にありました。アインシュタインは物質とエネルギーは互いに置き換えられることを証明しました。宇宙は現在存在する無数の銀河や星々などを作っているすべての物質を足したものに等しいエネルギーから始まったことになります。その途方もない力のエネルギーが、しかも限りなく小さな一滴から始まった…それがこの宇宙の原点です。ではその最初のエネルギーの一滴を落としたものは何だったのか。結局僕はその最初の一滴を落とした何かに感謝しなければならないのです。

さて、会社の柱に、最近次の格言が貼られました。

夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。

この格言に従うなら、エネルギーを生み出すものは夢あるいは思いです。夢はエネルギーを生み、宇宙の時計は動き始めました。エネルギーは物を生み、その物が作り替えられる過程で新たなエネルギーが生まれる。この宇宙を生み出し進化させている法則も、会社を50年間存続・進化させている法則もまったく同じであることに気づかされます。

138億年前の夢がエネルギーとなって始まった宇宙。この宇宙はどんな計画の中にあるのでしょうか。会社も僕たちも、その夢の恩恵なのでしょうか。そうであるなら、問題はたくさんあるかもしれませんが、それに捕らわれていないで、この世界を生み出した夢に抱かれた歩みをしたいものです。

50年と節目に社長を仰せつかっている僕は、受け継いだものへの感謝を基に、でも今までとは違う、今までとは次元の違う夢、思いを立ち上げなくてはならないと強く感じています。そうでなければ、まるで高速で点滅するフラッシュのように次から次に生まれる問題に飲み込まれてしまいます。その心の罠にはまってしまうと、夢は成功には結びつかなくなります。
会社は、今年、Legacy50 Connect100 という新しい思いを始動させます。そのことはまた次の機会にお話をしましょう。

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春、点描

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80:20 大切なのはどちらなのか?

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思いがけないアクシデントが起きました。頭の中は、どうしてそんなことが起きてしまったのか…その原因を探しはじめます。そして、いくつもの要因とそれによって引き起こされうるいくつかの結果が、フラッシュのように目まぐるしく頭に浮かんできます。そして、その次には、自分の行動に対する正当化が始まります。複雑な因果関係の網の目はやがて整理され、頭の中で多数決が行われます。その結果は「私が悪いという動議は圧倒的多数で否決されました」となり安堵します。
たしかに多数決においては、僕は「悪くない」に分類され、そのように記憶されるのかもしれません。でも企業人として考えるとき、僕の行動は…僕の考え方は、正しいとは言えないような気がします。
 
もしかしたら、僕らは知識と努力に頼り過ぎているかもしれません。たしかにそれは必要です。「歩く百科事典」のような人並み外れた知識の集約度を披露することは、ちょっとした集まりで周囲の感心を呼び込むほどに、たしかに爽快ではあるでしょう。例えば、テニスで言えば、知識は正しいスイングの軌道であり、努力はフットワークだと言い換えることができるかもしれません。でも、それだけで試合に勝つことはできません。これらをコントロールし、流れに応じて試合を組み立てていく肝心なものが必要です。
 
流れに応じて試合を組み立てるものは何か、仕事においてそれは「知恵」です。知識をいくら積んだとしても、ただただハードな計画を立ててみても、知恵の木は成長しないでしょう。知恵は、心の汗なしには育たないもののようです。僕の経験から言えば、失敗や挫折の中にこそ、知恵を最も成長させる要素がありました。テニスで言えば、試合に出て勝てるわけがないと思える人との対戦の中でも、めげずに「何かをつかんで帰る」という心に宿るものだと思います。
もしかしたら、知識偏重は知恵の弊害ですらあるかもしれません。行動が伴っていないと…実践がないと、知恵は育まれにくいもののようです。失敗や挫折の経験が多い人は、挑戦をし続けている人です。ですから、知恵のある人の第一の資質は「挑戦をする人」かもしれません。
 
そして、さらに言えば、知恵のヒントの多くは、自分の頭の中に生まれるものではなくて、だれかとの関係の中に生まれることが多いように思えます。テニスプレーヤーで言えば、コーチとのコミュニケーションの中にあるかもしれませんし、もしかしたら対戦相手が打つボールに込められた何か…かもしれません。知恵のある人の第二の資質は、知恵のある人に聞こうとする「開かれた心」かもしれません。
 
失敗や挫折で自暴自棄になってしまったら、それはとても残念なことです。それは知恵の木を育てる滋養になるどころか、木の根を腐らす毒になってしまいそうです。「めげない前向きな心」が求められますが、「それを持とう!」と言っても僕にはハードルが高すぎました。自暴自棄になる場合の多くは、そこに怒りや焦りや恐怖があったような気がします。むしろ、なぜ自分がそんなときに、怒りや嫉妬や恐怖を感じるのかを見つめた方が良い場合が多いかもしれません。少なくても自分はそうでした。
知恵のある人の第三の資質は、「前向きな気持ち」…僕の場合は「こだわりからの卒業」と言った方がしっくりする気もします。
 
さて、冒頭の話に戻ります。「私が悪いという動議は圧倒的多数で否決されました」の中には知恵が育まれる要素は見当たりません。
全体の影響力は20%であったかもしれない、でもその20%を起爆剤として、…きっかけとして、残りの80%に正しく働きかけられる余地はなかったのか…この考えの中にだけ「知恵」が生まれる土壌があります。仕事にとって大事なのは、多数決でもなければ、正当な理由の主張でもありません。大切なことは、自分に託されていた20%をさらにグレードアップする術を身につけることです。知恵のある人の第四の資質は「謙虚さ」です。「学ぶ力」とも言い換えられるかもしれません。
僕はひょっとして、この第四の資質が一番大切であるような気がしています。なぜかって? 「言い訳をしたい自分」「多数決に持ち込みたい自分」の存在にいつも悩まされていますし、謙虚さが僕に不足していると痛感することが多いから…です。
事実、アクシデントに接して、早く「謙虚」にならないと、他の3つの資質の出番は回ってこないような気がします。謙虚な人でありたいですね…切にそう願っています。