あなたの中にも私の中にも答えはないのかもしれない

「テーブルテストではうまくいったのですが、実ラインではどうやってもうまくいきません」
迎えの車が来る空港でその第一報を聞かされました。上海浦東空港が濃霧に包まれたため羽田の離陸は2時間遅れとなりました。そのおかげで迎えの車は再調整が必要になり、僕は羽田の機内で2時間待たされ、さらに浦東空港のカフェで2時間待つことになりました。その間に入る、第一報に続く第二、第三の連絡は第一報の文脈をさらに深めるものばかりでした。
前回お話ししたように僕らはたしかに神様が「気の毒」に思うような努力をしたはずでした。しかし、その救いの手は、研究室の中に差しのべられたものであって、その外に及ぶものではなかったようです。研究室の成果は、参加者全員の「実ラインで試す価値はある」という認識を生み、たしかにそのおかげで大きな前進をさせてはもらいましたが、このプロジェクト全体を貫く『答え』ではなかったのです。それは『チャンス』に過ぎなかったのです。それでも十分に感謝すべきことです。
 
迎えの車の中で最初に聞かされた話は、「プロジェクトのボスはこの技術はダメかもしれないと焦っている」というものでした。テーブルテストの結果が良かっただけに落胆も大きいのです。ごもっともです。正直に言えば、自分もいっしょになって焦りたかったです。でも『焦っている人間には答えは来ない』ものです。「急ぐこと」と「焦ること」の間にある微妙な境界線で踏ん張り、グループの心を境界線の向こうに行かせないこと、それがリーダーの役目であることを…車の中でそう何度も自分に言い聞かせていました。
 
次の日は現場での試行錯誤が続きました。処理液を構成する主要な成分を減らしたり、増やしたりを繰り返しました。しかし、テーブルテストの結果の再現はできませんでした。僕は次の日から1泊で現場を離れなくてはなりません。まる2日現場を離れなくてはなりません。やり尽くした感のあるメンバーに何らかの希望の光となる宿題を提示するのが僕の役割です。夕食を終え、ラウンジでアルコールをちびちびやりながら、メンバーと対策を練っていました。しかし、アイデアはぐるぐる回るだけで、一向に出口を探せないままでした。そのときふと僕がつぶやいたのです。それはほとんど「なんとなくそう思った」の部類に入るひとり言のようなつぶやきでした。「あの成分の効果を自分たちの目で確認しただろうか?」メンバーが答えました「ごく微量で十分な効果が発揮できると言われてきたので、あえてそれを増減することはしていません。」
アルコールちびちびミーティングは「明日とにかくその成分を増減してみて、その効果を自分たちの目で確かめよう」という言葉で散会することになりました。
 
僕は翌々日に「改善されました。この方向で詰めていけば大丈夫だと思います」という報告を聞くことになりました。発明は99%の努力と1%のインスピレーションが生むものだ…と読んだ覚えがあります。前回お話しした、神様が気の毒に思うほどの努力は、言い換えれば99%の部分です。でも発明家の言った1%も気の毒に思った神様の存在が意味するものも、何事かの成就には、努力だけではだめなんだということなのかもしれません。インスピレーション、神の手、天の助け…表現は違っても、その声を聞く耳を持たなくてはならないかもしれません。焦ると答えが見つからないのは、聞く状態になっていないということの結果なのかもしれません。答えを自分がひねり出さなければ!…と考えているうちは意外に答えは得られないのかもしれません。
僕は、その成分のボトルを何度となく見てきました。その成分を滴下するところも何度となく見てきました。しかし、「その量で良いのか」という基本的な疑問を持つことはできませんでした。ヒントはずっと僕のそばにあったのです。ですから、思いついたのは僕のなせるワザではなかったと思います。
99%の後で、謙虚に天命を待つ心境になったときにはじめて、インスピレーションは訪れるもののような気がします。
 

20160312-1 20160312-2