楕円のボールに込める思い

快晴の秩父宮にて

快晴の秩父宮にて

 
独特のルーチンが終わるまで、誰も彼の時間を奪うことはできない。唯一彼に対峙しているものがあるとすれば、それは彼の中になる『何か』の他にはない。彼が大きく足を蹴りあげると、白い楕円のボールは緑色に輝く芝を離れきれいな弧を描いた。2万人がいっせいに固唾を飲むなか、白い軌跡は左側のボールをかすめていった。ゴールジャッジの旗が上がらないことを見てとると、観客が凝らしていた息はため息に変わった。そのころ当の本人はすでに自分のポジションに向かって走り始めていた…。
 
大学では1年からレギュラーだった彼のキックを何度となく見てきました。相手の背後に深く蹴り込む彼のボールは、緑の芝に落ちた瞬間に、彼の意思のままにはずむこともあったし、あるいは試合のゆくえを翻弄するように不規則にはずむこともありました。
 
それでも、彼は仲間がそこに走り込むと信じて何度も蹴り、また仲間も彼がそこに蹴ると信じて芝の上を何度も矢のように横切っていきました。
 
 
どうして楕円のボールなの? 僕にはその方が自然に思えるのです。最後にはどちらに跳ね上がるかはわからない。でも、可能な限り意思が伝わるように蹴る位置を工夫する。そして仲間を信じる。運の悪い方向に跳ね上がったとしても、転がる方向が変わったとしても、それでボールを恨んだりはしない。運のせいになんかしたりはしない。なぜなら、ボールというのは、運というのはそういうものなのだから…。
 
 
あと数センチの精度を高めるために蹴る練習を何度も繰り返す。何度でも仲間を信じて蹴る。何度でも仲間を信じて全力でその位置に走り込む。自分にできる運が支配しない部分のことに集中する。そして、運が悪い方向に跳ね上がったとしても、「そういうもの」という表情をして、すぐにポジションにもどる…
 
来年はそういうスピリットで1年を過ごそう!…と緑の芝を眺めながら誓いました。One for all, All for one !
 
 
どうぞ良い年をお迎えください。
 
平和と希望に満たされた1年となることを祈ります。