天賦の贈り物

20151225-1

1991年に鉄道省主催の技術交流会で訪れたことのあった北京を再訪しました。まるで違う国の違う都市を訪問したかのような変貌ぶりの一方で、僕はずっと日食のような太陽を眺めていました。PM対策はもう待ったなしの状況にあるようです。
 
さて、以下の記述はどのこの都市のことでしょうか?
 
『工場立地が進んだある都市で、セメント工場による粉塵被害への抗議活動が起こり社長宅に押し掛けた。それから45年後には火力発電所の宅地造成をしたところ、長い梅雨で灰の山が崩れ、24名の死者と17名の重軽傷者を出した。それから4年後には大気汚染注意報が年間29回発せられ、その2年後には都市の主要部分が大気汚染地域に指定された。公害病認定患者は、5911人、死者1500人を数えた。』
 
これは1927年(昭和2年)~1994年に神奈川県川崎市で行ったことです。歴史の時間をずらして年表を重ねてみれば、北京で起きていることは私たちもかつては通った道であることがわかります。日本の経験が活かせる可能性は大きいように思えてなりません。
 
僕は、もしかしたら多くの人は、相手の欠点を大きくして、自分の立場を優位にしようとするクセがあります。そして、目の前の問題を大きく複雑に考えることによって、踏み出せない言い訳にしようとするクセがあります。でもそれだと壁は乗り越えられないように思います。大きく考えるべきなのはミッションの方であるはずなのに、欠点や問題を大きくしてしまいがちです。
 
僕はクリスチャンではありませんが、ときどき日曜に教会に行きます。牧師のお話を聞きながら、心にたまった垢を落とすためです。僕が人として尊敬するその牧師はいま「人にはみなそれぞれに神より与えられた宝がある。それはすべての人にある。その宝を見つけ出すお手伝いを私はしたい」と言われています。宗教の垣根を超えてお手伝いができれば…と願っています。
 
北京を訪れた目的は、ビジネスの打合わせをするためでしたが、その打合せの中には1つの起業のことが含まれていました。中国の瀋陽に生まれ、広島大学で文学を学び、夏目漱石に関する論文を書き、その後九州で服飾デザインの勉強をし講師まで務めたものの、縁あって公害防止関係の仕事で日中の懸け橋としてずっと奔走されてきた女性が、それまでの安定した中日合弁会社を辞して、志を同じくする3人と起業をしたという話でした。お客を豊富に持つ中国の中小企業と優れた技術を持つ日本の中小企業の懸け橋をする会社を作ることにしたそうです。提携の入口から、運悪く破談になったときの解消まで面倒を見る…いわばお見合いから離婚まで責任を持って面倒を見るというスキームに挑戦します。彼女が見ているのは、まさしく両国の良い点を結びつけることです。僕にどんなお手伝いができるのか…模索しているところです。
 

PMで霞むクリスマスのイルミネーション

PMで霞むクリスマスのイルミネーション

 
サンタさんもどこにプレゼントを届けたらいいのか迷ってしまいそうです。早く星空のクリスマスを迎えられるように願います。
 
京セラの名誉会長である稲盛和夫さんは、「楽観的に考え、悲観的に計画し、楽観的に行動しなさい」と言われています。そろそろ新年の計画を考える時期ですし、新しいビジネスもどんどん生まれています。僕も稲盛さんの言われる姿勢で新たな年、新たなビジネスを考えてみます。
 
 
今日は贈り物について考えたいと思いました。その贈り物とは、どんなプレゼントより貴重なもの…それは誰の中にもある天賦の贈り物です。Merry Christmas!