僕は猫がきらいだ

正確に言うと、近所のあの猫のばあさんがきらいだ
僕がねぐらにしていた大きな木からほど近い
中が空洞になった倒れた木の上で彼女は決まって日向ぼっこをしていた
 
いつだったか、僕が自分のさびしさについて話すと、彼女はこう答えた
「おまえさんが本当の孤独を知っているってどうやって証明して見せてくれるんだい?」
あるとき、僕のことを無視するやつがいるんだって言うと、彼女はこう答えた
「そいつがおまえさんの存在を認める立場にあるって誰が決めたんだい?」
この間の月がきれいな夜に、僕が自分が生きる意味がわからなくなったって言ったら、彼女はこう答えた
「そもそも生きることに意味が必要だってどうして思えるんだい?」
 
こんな皮肉に満ちた受け答えをするやつは犬には決していないさ
もうちっとは優しさっていうものがある
あの態度も僕の気に障る
めんどうくさそうに、まるで答える気なんかないってふうで皮肉なことをぼそっと言う
そして、何よりそのばあさんが嫌いなのは
肝心なときに彼女の言ったことが僕の脳裏をよぎること
 
つい最近もこんなことがあった
あんまり皮肉なことを言うから、僕が「あんたはいったい何者なんだ?」って言ったら
「あたしはおまえさんの鏡さ」
その答えを聞いた時からずっと頭の中の奥の方が痛いままだ
 
どれだけ僕がそのばあさんが嫌いなのか分かってもらえるだろうか
きっとわかってもらえないに違いない
だからときどき僕はどれだけそのばあさんが嫌いなのかを確かめるために
相談ごとを抱えて彼女に会いに行くことにしているんだ
 

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森と僕と青虫の関係について

自分の激しい息遣いに驚いて目を覚ました
開いた目に映ったのは、1匹の小さな青虫だった
彼はあるいは彼女は懸命にこのほら穴の入口に沿って足を規則正しく動かしながら、とてもゆっくり移動している
どこに向かって、何のためにそんなに懸命に移動しなくてはならないのか、僕には知るよしもない
だけどそのちっぽけな存在でさえ今の僕には救いだった
少なくてもこの空気を呼吸しているのは僕だけじゃない
青虫に僕の話が通じるかどうか確信はなかった
それでも僕はその青虫に今見た夢の話をすることにした
とにかく他に選択肢は無いのだから
 
僕はこの穴の中からじっと森を見つめていた
しだいに森のどこに焦点を合わせたらいいのかその手がかりを失っていった
どんなに焦点を合わせようとしても森はぼやけて輪郭を無くしていく
しばらくすると森の声がした
どうやら森はその成り立ちの中に僕を含めてしまったようだった
声は僕の耳のずっと奥の方から聞こえてきた
「もっともっと深く見なきゃだめだ」
 
僕は焦点を森のずっと奥の方に合せようとした
でもあい変らず何ひとつ意味のある像を結ぶことはなかった
ところが焦点を合わせようとしていたそのあたりがしだいに暗くなっていった
その暗い部分に吸い寄せられるようにその周囲が歪みはじめた
そして、自分自身もその暗い部分に吸い寄せられていることに気づいた
しかもその速度は加速しているようだ
僕はついにその暗い部分に落ちるように吸い込まれていった
 
何も見えない
自分が穴に落ちていることを確かめる手がかりは見えない
ただ僕の感覚だけが、どんどん加速する自分を感じている
そして、不意に自分の体が加速から解放されて
ふわっと浮いた状態になるのを感じた
僕は何か不思議な透明の筒の中にいた
どの方向を見ても森が見える
 
筒は規則的な振動を繰り返していた
その脈動が何かを僕に訴えている気がした
最初はそれがなんであるのかに気づかなかった
そのことに気づくまでずいぶんと時間がかかったような気がする
どうしてそこのことにすぐ気付かなかったのか
その振動は僕の鼓動とちょうど一緒であることに
 
僕の感覚はようやく平静を取り戻した
僕はふわっと浮いているわけではなかった
静かにゆっくりと穴の奥に向かって落ちていた
自分の足のはるか下…僕は今までそんな遠い距離を認識したことがなかった
それほど遠いところに、小さな光の点を見つけた
それはどうやらものすごい速さで僕に近づいてくるようだ
やがって僕はまばゆい光に包まれて、思わず目をつぶった
 
その瞬間に僕はとても大きな音を聞いたような気がしたけど
すぐにまた静寂が訪れた
目をゆっくり開けてみると
遠くに生き物がいるのが見えた
とてもちっぽけな生き物のようだ
その生き物は懸命に体をくねらせている
しかしその抵抗もむなしく、どんどんこちらに近づいてくる
 
僕は頭を何かで殴られたような衝撃を感じた
その生き物は紛れもなく自分自身だった
近づいてくるその顔は、不安そのものだった
そして僕は気がついた
でもそれがどのくらい前からそうだったのかは分からなくなっていた
僕の意識は、犬である僕ではなく、森そのものだった
僕は森となって、もうひとつの僕である犬を見ている
 
僕は泣いていた
森である僕は、もうひとつの僕である犬のために泣いていた
そして僕はもうひとつの僕に懸命に伝えようとした
「歩くんだ。とにかく歩くんだ」
でもその叫びは森のざわめきとなって犬である僕を怖がらせただけだった
それでも僕はどうしても伝えなくてはならない
僕はもうひとつの僕に向かって懸命に手を伸ばした
そのとき僕は夢から覚めたんだ
 
そう言って目の前を見てみたら、もうそこには青虫はいなかった
ふと視線を上げると、すでに青虫は垂直の壁を登り
入口の天井をさかさまになって伝っているところだった
ちょうど真ん中にきたところで
青虫のどこかの足が号令を聞きのがしたようだった
彼は体をくねらせながら、地面に落ちた
その場所はちょうど最初に僕がその青虫を見たその場所だった
 
青虫は丸まった体をもう一度伸ばし
いま一度体全体に緊張を伝え、そしてまた歩き始めた
最初に彼を見た時とまったく同じ道筋で、同じように気が遠くなるような遅さでまた歩き始めた
どこに向かって、何のためにそんなに懸命に移動しなくてはならないのか
やはり僕には知るよしもないままだった
 

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僕はずっと探している…その探しているものが何なのかを…

東の大きな木のところにもそれはなかった
西の緑色の池のところにもそれはなかった
どうやっても見つからない
何をやっても思い出せない
そもそも僕は何を懸命に探しているのかを
 
でも、じっとしていると
あのおそろしいやつが僕が見つけてしまう
だから僕は懸命に走り続けなくてちゃならない
そいつに追いつかれる前に
 
本当のことを言うと、僕はそいつの本当の姿を知らない
一度だけ、その輪郭のようなものを見たことがある
そのときは目をつぶったままただ走って逃げた
あいつの目を覗き込んだら、僕自身が消えてしまいそうな気がしたから
 
今日も疲れ果てて、僕はねぐらにもどってきた
何をやってもうまくいかない
そんな思いでいっぱいの夜は
頭を2つの前足の間に沈めて月をただ眺めながら眠気が訪れるのを待つ
 
僕は月に訊く
僕はこの運命を呪ったらいいのか、それとも…
あなたはなぜ今夜も黙って見ているだけなのか
どうしたら、僕の願いを聞いてもらえるのか
いやそうじゃない…
僕は何を願うべきなのか…
 
ありとあらゆる質問をし
ありとあらゆる願い事をした
でも、月は決まってそこにあるだけだった
 
ところが今夜の僕の頭はいつもとは違う回路を選んだようだ
そう僕は1つだけ、訊いたことがない質問があることに気づいた
それは願い事と言った方が正しいのかもしれないのだけれど・・・
今までにしたことのない問いかけ・・・
あなたの願いは何なのですか?
 

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もしひとつだけ願いがかなうなら

ぼくは北の大きな木のことを考えていた
なぜだかはかわからないのだけれど、最近の僕はそのことばかり考えている
倒れた木の空洞をねぐらにしているねこのおばあさんは
「北の木の向こうに行っちゃいけないよ。あそこに行って帰ってきたもんはいないんだから」
だけどおばあさんは誰も戻って来ない理由のこととなると
決まって口を閉ざしたまま、大きなのびをして、木の上に行ってしまう
 
僕にはおばあさんがどの枝の陰にいるのかもうわからない
おばあさんはこんな話を付け加えることがある
「おまえさん、こわいのものが、こわい顔をしているとは限らないんだよ」
「本当にこわいものは、むしろやさしい目をしているもんなんだ。そのことを忘れちゃいけないよ」
 
僕はある朝、その北の大きな木のところまで行ってみた
それはひときわ大きな木だった
薄暗い森の中で、見上げると木の上の方だけが陽の光に当たっている
遠くからみたときは深い緑に覆われた木に見えたけど
近くまで来てみると、たくさんのつたに覆われているのがわかった
もしかしたら、この木はもうとっくに枯れているのかもしれない
たくさんのつたが、今でもうっそうと茂った葉を持つ木に見せているだけなのだ
 
上空を舞う大きな鳥の影に気を取られたときだった
不意に強い風が北の森を駆け抜けた
うっそうと絡み合ったつたが、激しく揺れた
まるで重い幕が一気にめくり上げられるように、今まで隠れていたものを見せた
そこにあるのは深いほら穴だった
ほら穴の中には、わずかに明かりが見える
その明かりがどのくらい深いところからもたらされているものなのかはわからない
ほら穴の入り口の土は苔で覆われている
中から少し温かみを持った風は吹いてくる
その中にはなつかしいにおいが混じっている
でもそれが何なのかは思い出せない
僕はそれが何なのかをどうしても知りたくなった
いや知らなくちゃいけない・・・
 
大きな鳥が僕の頭上ぎりぎりをかすめて行った
そのとき僕は我に返った
いつのまにか、そのほら穴に入ろうとしていた自分に気づいた
全身の毛が恐怖で逆立つのを感じた
僕は息をつくのも忘れて、自分のねぐらに向かって走り出した
もしほら穴をまた見てしまうとまた僕の意思は吸い取られてしまいそうで
僕は一度も振り返ることなく走り続けた
 
その夜僕は不思議な夢を見た
僕はあのほら穴の入り口に立っていた
次の瞬間に僕はまわりがいっさい見えなくなるような強い光に包まれた
僕は全身が暖かくなるのを感じた
太い声がした
「おまえの願いを1つだけかなえてやろう。なんでも言ってみるが良い」
僕は迷うことなくこう答えた
その答えは僕をひどく驚かせた
なぜなら、僕の選んだ答えは、ふだん僕が願っているはずの
「元の世界に戻してください」でもなければ「飼い主にあわせてください」でもなかったからだ
夢の中で僕は迷うことなく、反射的にこう答えていたのだ
「信じる力をください」
 

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夢からの使者

何かの気配を感じて僕は浅い眠りから目が覚めた。
目を開けると1匹のバッタが透き通った羽を見えない速度で動かせながら空中に止まっていた。
もちろん、そんなバッタを見るのは初めてだ。
「きみにお願いがあるんだ」
バッタは、自己紹介もなく、眠りの邪魔をした詫びもなく、唐突に話し始めた。
「夢をみてほしんいんだ」
「夢を?」
「そう、夢を」
もちろん、誰かからそんなお願いをされたのは初めてだ。
「どんな夢を?」
「それはわからない。ただ君自身の夢であればかまわない」
「なんだってそんなことを僕に頼むんだい?」
「君は夢の世界が実は本当で、目覚めている世界の方が虚構の世界だって思ったことはないかい?」
もちろん、夢についてそんな質問をされたのは初めてだ。
「ないと思うけど」
「夢は夢で1つの世界がある。それはみんなの夢で成り立っている。
誰かが悪い夢を見れば、世界は少しだけ暗くなり、
誰かが楽しい夢を見れば、世界は少しだけ明るくなる
もちろん、象徴的に表現しているのであって、世界の成り立ちはそんなに単純ではないけれど…」
「君の言うことがよくわかないんだけど」
 
「では、少し言い方を変えてみよう。
君が誰かの話を聞いたとしよう。
君がとても肯定的な気持ちが強ければ、当然肯定的な態度を取る。
その結果、その話し手も肯定的な気持ちを増すはずだ。
そうは思わないかい?」
「まあ、そんな気はするけど」
「もし、君が否定的な態度を取ったとする。そうすると話しかけた方も否定的な気持ちを増すはずだ。
そして、そのことがその話し手のその後の言動を少しだけ、否定的な方にずらす可能性が増す。
ここまではいいかい?」
「うん、特に反対する理由もないような気がする」
「話し手の行動は少しだけ否定的な方にずれる。
そうすると、その後で関わった相手の感情も、少し否定的な方にずれる可能性が増す。
特に、怒り、ねたみ、傲慢、恐怖…といった感情はこの作用を強く持つ」
「肯定的な気持ちより、否定的な気持ちの方が影響力は大きいって、君は言いたいの?」
「その通りだ。
なぜなら、恐怖は怒りを受け入れる土壌を作るし、傲慢はねたみを受け入れる土壌を作るからだ」
「それで、君は僕に良い夢を見てほしい…そう頼みたいんだね?
そんなうまくいくとは思えないけど…願った通りの夢を見るなんてこと…」
「もちろんさ。
どんな夢を見るか予め決めておくことはできない。
もしできたとしたら、それはもう夢ではなくなってしまう。
夢の中で起きることを君は支配することはできない。
君の夢で起こる出来事を支配しているのは、あくまで夢の世界だ。
夢の世界では、何が起こるかはすでに決められている。
問題は、問題自身にあるのではなく、君がどういう感情を持つかということだけだ。
そのことで、目覚めたときに思い出す夢の話はまったく違ってくる。
本当は同じ夢の世界なのに、悪夢として思い出されたり
良い夢として思い出されたりする」
 
もちろん、夢について誰かとこんなに難しいことを語り合ったのは初めてだ。
「じゃ、君は僕に何をしてほしいって言うんだい」
「夢を見てほしい。
それも夢らしい夢を。
最近、夢らしい夢が減っている。
みんなの見る夢が希薄になっているんだ。
それは夢というより、考えごとや独り言のようなものだ。
そこには切実な感情の動きがない。
だから良い夢でもなく、悪い夢でもなく、なんとなく見た気がする程度の記憶しか生まない。
そのために夢の世界は、深刻な材料不足になっている。
このままじゃ、じきに夢の世界が崩壊してしまう」
「夢の世界が崩壊すると、いったい何が起こるんだい?」
「僕のいるべき空間がなくなる。降り立つ地面も、吸うべき空気もなくなる。
それが世の中にどう影響するのかはわからない。
もしかしたら、なくなったことにさえみんなは気づかないのかもしれない。
でも、もしかしたら、この目覚めている世界もなくなるのかもしれない。
きっと誰にもわからない。
なぜなら、その喪失を感じる意識もなくなるから。
もしかしたら、僕らはそうしてすでにいくつかの世界を失ってきたのかもしれない」
「君の話は、理解の手が届きそうになると、また遠くに行ってしまう。
でも、とても大切なことを伝えようとしているような気もする。
良くはわからないけど、さっきから僕の頭の奥の方が少しズキズキしているから。
僕の頭は、ずっと使うことがなかったさびついた部品を集めて、
何か古い時代に忘れてきた、オルゴールでも作ろうとしているのだろうか?
でも、そのオルゴールの音は、僕の知らない、僕のおじいちゃんが好きだった曲だったりするような気がする。
それで、僕はどうしたらいんだい?」
バッタは、3番目と4番目の手、もしかしたら足、の間に持っていた豆を僕に差し出した。
眠る前にそれを飲んでほしい。
そうすれば君は夢らしい夢を見ることになる。
もう、僕は夢の世界に戻らなくちゃいけない。
これを頼めるのは君しかいないんだ」
「どうして、僕なんだい?」
「忘れたいのかい? 約束があったからだよ」
 
「いったい僕は誰とどんな約束をしたって言うんだい?」と
くるっと後ろを向いたバッタにそう言おうとした。
バッタは思いのほか早く遠ざかろうとした。
身を乗り出して、叫ぼうとしたとき、
僕は夢から覚めた。
なんだ、これも夢だったのか?…そう思った僕は
そう思った僕は、次の瞬間に1つのことに気づいた。
僕が夢で見た、バッタから渡された豆が、まさに僕の目の前にちょこんと置かれているのに。

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