意思を持つ霧

その昔駅舎であった広くがらんとした建物を利用した美術館の中で、僕は得体の知れない霧に飲み込まれようとしていた。階段の踊り場にある鉄枠の大きな窓の外にはほんの数秒前まで、中世を思わせるような街並がまるで大きな写実絵のように広がっていた。その街並全体が巨大な黒いレースのカーテンのような意思を持った霧の腕の中にみるみる沈み込み、そして色を失っていった。そして、そこから再び大きく盛り上がった2つの霧の触手が、この美術館を飲み込もうと迫ってきていた。この宿命的な状況から逃れる術を僕はとても思いつけそうにもなかった。それが意味のあることなのか考える余裕もなく階段をかけあがり始めたとき、遠くで音がした。その音で時間は凍りつき、霧は動きを止めた。静寂の中で自分の鼓動の音だけが妙に大きく建物の中に響きはじめた。あわてて鼓動を沈めるように胸を手でおさえた。やがて耳元でもう一度鳴った。一回目の無表情な音とは違って、何かの目的を持った音だった。