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Vol.12-01 連載企画:あわてず、あせらず、あきらめず

なぜ学ぶことが必要なのか その1

深く掘り進むとやがてその底に水脈が現れる。その水脈をたどると別の離れたところで掘られた穴と深いところでつながっている・・・経済でもスポーツでも、あるいは人文や自然科学の分野でも、優れた洞察力と探究心をもって深く掘る人の知見は、分野を問わず私たちの「灯台の光」となります。今回取り上げる「動的平衡」(福岡伸一著、木楽舎刊)は、「ヒト」そして「人」を自然科学の視点から掘り下げた本ですが、そこには紛れもなく水脈が見えます。ですから、主語を「会社」や「仕事」に置き換えることさえ可能であるようです。今回は試みに主語を置き換えながら読み深めてみたいと思います。たいへん魅力的な本ですのでぜひ手に取って読んでみてください。

記憶とは何か

たちの体のほとんどはタンパク質と水でできているとも言えますが、そのタンパク質は常に分解と合成を繰り返しています。同じ顔かたちの「私」のように見えますが、決して昨日と同じ私ではありません。「記憶は脳の中の海馬の領域に保持されている」と言われますが、脳細胞も例外ではなく分解と合成にさらされています。

ほんの数日で分解されてしまう生体分子を素子としてその上にメモリーを書き込むことなど原理的に不可能だ。記憶物質は見つかっていないのではなく、存在しようがないのである。…人間の記憶とは脳のどこかにビデオテープのようなものが古い順番に並んでいるのではなく「想起された瞬間に作り出されている何ものか」なのである。つまり過去とは現在のことであり…私たちが鮮烈に覚えている若いころの記憶とは、何度も想起したことがある記憶のことである。…ならば記憶はどこにあるのか。それはおそらく細胞の外側にある。正確に言えば、細胞と細胞のあいだに。神経細胞はシナプスという連携を作って互いに結合している。結合して神経回路を作っている。神経回路は、経験、条件付け、学習、さまざまな刺激と応答の結果として形成される。回路のどこかに刺激が入ってくると、その回路に電気的・化学的な信号が伝わる。信号が繰り返し回路を流れると回路はその都度強化される。…たとえ、個々の神経細胞の中身のタンパク質分子が合成と分解を受けてすっかり入れ替わっても、細胞と細胞とが形作る回路の形は保持される。いやその形すら長い年月のうちには少しずつ変容するかもしれない。しかしおおよその形はそのまま残る。

大切なこと…理念や使命や目的について何度も繰り返し話をし、そしてメンバーに実践してもらう必要があるようです。僕などは「何度言ったらわかるんだ!?」という気持ちにすぐなってしまいますが、それでも繰り返す必要があるのだと思います。社員がひとつの理念と使命に向かって行動できるようになるまでには、そういう回路が立ち上がるまで、飽くことなく繰り返すことが必要なのだと改めて思います。

とても意外なことは、記憶とは「過去の事実ではなく、その事実に対する現在の気持ちの反映」ということですね。過去の事実であるなら記憶は変えられませんが、現在の気持ちの反映であるなら変更の余地大いにありです。記憶は現在の自分の再評価により、「嫌だったことも、貴重な教訓」や「悲しいことも、新しい自分の再発見のきっかけ」に変わります。社会に出ると嫌なことも多いものですが、上手に再評価できる自分でありたいですね。

空目(ソラメ)

際には音がしていないのに聞こえたり、呼ばれてもいないのに名前を呼ばれたような気がする…空耳は誰にも経験のあることかもしれない。同じようなことが目で見ていることに対しても起こる。それをここでは仮に「空目」と呼ぶことにする。ここで言う空目とは『存在しないものが見える』ということではなく、本当はまったく偶然の結果なのに、そこに特別なパターンを見てしまうことである。特に顔に似たものに関しては非常に敏感に顔のパターンを見つけてしまうように、人間の脳はランダムなものの中にも何らかのパターンを見つけ出さずにはいられない。

人間の祖先は過去何百万年もの間、常に環境の変化と闘いながら生き残ってきた。その時に複雑な自然界の中から、何らかの手がかりを見つけることが生き延びていく上でとても大事だったのである。その進化の過程で、私たちの脳の中に、できるだけ法則やパターンを見出そうとする作用が加わってきた。私たちの脳にそういう水路がつけられてしまったのである。生きるか死ぬかの瀬戸際では、そのような瞬時のパターン化が役立つことも多かったに違いない。しかし、一方で実はそのほとんどが空目なのである。

人や出来事に対して私たちは当てにならない直観によってレッテルを貼りがちです。そして、そのレッテルに沿う証拠集めを無意識にしてしまいます。僕自身この種の間違えは日常茶飯事にしています。そのために、行動の修正に遅れが生じ、「想定外」のことさえ起きてしまいます。本当は起こるべくして起きているのです。また、報告の中にも、また瞬時に生まれる自分の考えの中にも、この危険な錯覚は必ず含まれています。リーダーはやはり自分で現場に行かないといけないです。そして、最初に浮かんだ考えや感情から自分を切り離す訓練がどうしても求められますね。たいへんですが。

思い込みが考え方を強化する

の内部では神経細胞がお互いに触手を伸ばしあって、それらが連結して複雑な回路を形成している。この回路に微弱な電気が走ることによって、私たちは話したり、記憶したり、あるいは細かな工作をしたり、走ったり、楽器を奏でたりしている。ひとつひとつの知覚、感情、思考、行動に固有の神経回路が存在している。しかし、それぞれの反応に固有の神経回路は生まれつき、もともと準備されていたものではない。 胎児期、脳ができはじめるとき、神経細胞は四方八方に触手を伸ばして手当り次第連結を作り出し、できる限り複雑な回路網を作り出す。もともと準備されるのはここまでである。

その後、母体からこの世に生れ出ると、この回路は「刈り取られて」いく。環境にさらされて、さまざまな刺激に遭遇すると、その時に使われる回路は太く強化される。逆に、使われない回路は連結が切れて、消滅していく。…このような環境との相互作用の結果として、脳の合目的性が生まれる。…私たちの脳の回路網は刈り取りと強化によって、外界との折り合いをつけ、固有性を持つことになる。

社会に出るということは、「個人的な合目的性によって出来上がったしまった回路」を「公的なものに組み替えていく遠い道のりを進む覚悟」を持つことを意味するようです。社員にも会社にも胆力が求められるところですね。経営資源は、人・金・モノとよく言われますが、人材が人財となるためには、会社と社員の協力関係と覚悟がどうしても必要です。席について講義を聞くことだけが社員教育ではないはずです。もっと根源的なところで「学び」を考えたいですね。

なぜ学ぶことが必要なのか

たちが今、この目で見ている世界はありのままの自然ではなく、加工され、デフォルメされているものなのだ。デフォルメしているのは脳の特殊な操作である。…私たちは本当は無関係なことがらの多くに因果関係を付与しがちである。なぜだろうか。ことさらに差異を強調し、わざと不足を補って観測することが、あるいは、ランダムに推移する自然現象を無理にでも関係づけることが、長い進化の途上、生き残るうえで有利だったからだ。世界を図式化し、単純化できるから。

しかし、これは生存自体が最大の目的だった時の話。

ヒトの目が切り取った「部分」は人工的なものであり、ヒトの思考が見出した「関係」の多くは妄想でしかない。さらに私たちの脳は、比例で変化する現象は比較的うまく扱えるが、対数的に増えていくもの、振動しているもの、変化しながら動くものをうまく捉えることが苦手なようにできている…「直観に頼るな」ということである。つまり私たちは、直観が導きやすい錯覚を見直すために、あるいは直観が把握しづらい現象へ想像力を届かせるためにこそ、勉強を続けるべきなのである。それが私たちを自由にするのだ。

「自分を自由にするために勉強をする」とても魅力的な言葉です。もし学生の時にこのロジックを知っていたら、僕はもっと勉強していただろうに…と言い訳してしまいます。会社はもっと真正面から、本質的なことをロジカルに伝え続けていかなくてはいけないですね。仕事で役に立つ直観は、決して生来のものではなく、ロジカルに突き詰め、それを実践して苦悩して、検証を重ねた果てに獲得できるものです。それがまた弱い自分を救ってくれるのですから。

社会に出るということは孤独なことかもしれません。さらにリーダーになるということは孤高のものを求める人になるということですから、その孤独感には激しいものがあります。でも、掘って掘っていくうちに、遠くの孤高とつながる水脈に行きつく…それは決して孤独なことではないように思えます。過去600万年もの間、人類がさらされ続けてきた呪縛から解放されるために、私たちは自由の渚に立ちたいですね。

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