チャンスはピンチをまとってやってくる

20180119-1

会社はいま大きなチャンスの中にある。しかし、「チャンスはピンチをまとってやってくる」は真理なので、チャンスは必ずピンチを伴っている。心が狭くなるとこのピンチばかりが目に付く。チャンスなのにちっとも晴れ晴れした顔にならない。人には誰でも等しくチャンスは巡ってきているはずなのに、これだと幸運の女神はけっして微笑まない。やはり微笑の絶えない幸運の女神は、同じように微笑みが絶えない人が好きなようである。
 
さて、なぜチャンスはピンチを伴うのだろうか?それも結構深刻なピンチの顔を僕らに見せ、戸惑わせる。なぜならチャンスの芽は、そのまかれた種の土壌が良いことを求める。岩の上や、道端に落ちた種は芽を出さない。一人一人の心の土壌、組織としての土壌が良いことを求める。チャンスは活性化した土壌に芽を出す。かたくなな土壌では芽は出せない。このことをもう少し言い換えてみたい。
 
チャンスが到来すると、ものごとの回転は速くなる。そして、未知の要素も増える。プレッシャーも高まる。誤魔化しが効かなくなる。チャンスというと、お花畑の中にいる自分になれる世界を思い描くかもしれないが、現実はそれと真逆。荒れ野の中で、行くべき世界や方向がはっきり見えたとき、それがチャンスなのであって、自分自身はその場所には決していない。もしかしたら、それは一番自分の喉が渇いているときかもしれないし、足が疲れているときかもしれない。
 
そういうとき、人はどうなるのだろうか?僕は学生時代から登山をしているが、そういうとき僕自身が自分自身の本性を見せつけられることになる。誤魔化しの効かない自分、隠れていた自分をのぞき込むことになる。そして、その本性と言ったらいいのか、自分の中に隠れていた嫌な存在は、自分をいらだたせたり、自分を卑屈にしたりする。なぜなら、本性は隠れたまま増殖を続けたいから。怒ってしまえ、いら立ってしまえ、誤魔化してしまえと自分を誘惑する。もし、その誘惑に負けて、いら立ったら、「結局自分の足で歩かない限り、自分は頂上には立てない」という当たり前のことさえ消えて、本性は今度は自分に言い訳探しの誘惑をしかけてくる。そして、夜明け前が一番暗いという真理を見失う。
 
ピンチは、自分の最も嫌な本性をのぞき込まなければならない局面である。言い換えれば、自分の本性が自分を最も強く誘惑してくるときである。しかし、言うまでもなく、自分の何かを克服する最大のチャンスでもある。謙虚な心にならないと、自分の中にある、鎧を着た嫌な部分を引っ張り出して、天日干しをすることはできない。
 
チャンスは自分や組織にある課題を浮き彫りにするかもしれない。でも個人も組織もそれを結局歓迎するしかない。それと向き合うしかない。そのときピンチに隠れていたチャンスが顔を僕らに見せてくれる。
そして、求めていたお花畑にいる自分は、自分の周りにある世界ではなくて、自分の心の中にある世界であることを気づかせてくれる。
 
「チャンスはピンチをまとってやってくる」…本当に真理だなあと思う。
まずは微笑みから。
 
写真は1月2日のスーパームーン