やっつけ仕事でも、ちゃんとやっつけろ

20170425-1

今は亡き三原一幸先生に縁があって、3年間ほど月に1回お会いしてご指導を仰ぐ機会を得たことがありました。僕は縁に恵まれた人間だと心から思っています。きっと特に取り柄もなく、学習能力にもどこか欠落したところがある人間なので、心配した天の粋な計らいの1つなのだと思っています。

論文を発表することになり、締め切りギリギリになってやっとの思いで、添削を依頼したときに僕はかなり厳しく三原先生に叱責を受けました。「僕はうそをつく人と納期にギリギリの人は信用しない。なぜなら人に迷惑をかけてもそう言う人は平気だからだ」と言われました。その当時、うそが人に迷惑をかけることは直観的に理解できたのですが、「納期にギリギリの人」がそれと並んでいることに戸惑いました。うそには悪意があるけどギリギリには悪意はないのに…こんなに頑張ったのに…頭の中では呪文のように言い訳が駆け巡っていました。しかし、翌日に先生から返された赤字付の添削結果をみて、その理由がわかりました。論文の内容に合わせて、さまざまな資料がそこに加えられていました。一晩でどうやって、そこまで資料を集められたのか…赤字だらけの論文には、先生がどれほど深く論文を吟味して検討されたのかがよく表れていました。僕が仕事の合間に苦労してたいへんな思いをして書いたつもりの論文でしたが、ひと晩の先生のご苦労の方がはるかに深く、ずっと厳しいものだったのです。大げさではなく命を削るような気持ちが赤い文字にはありました。

社内にせよ、社外にせよ、ひとたび発表する文章であるなら、せめて温める時間…自分の気づきがわき上がってくる時間が必要です。ましてや、人に託す文であるならなおさらです。そうでなければ、伝えられるもの、理解してもらえるもの、何かを相手の心に残せるものが生まれるはずはないのです。三原先生が、うそをつく人と並んで「納期にギリギリの人」を挙げたのには理由がありました。そういう仕事はやはり体裁だけを整えようとした「うそ」なのです。

さて、そうは言っても「やっつけ仕事」は社内から無くなりません。さまざまなもっともらしい言い訳が飛び交っています。たしかに、僕らは忙しすぎるのかもしれません。でも、中途半端な仕事は、やらないよりかえって悪い火種になることが多いのも事実です。やった気になって、意識からはずしてしまうのは、時限爆弾をしかけたのと同じです。あるいは、人の時間を奪うウイルスを忍び込ませるのと同じです。迷惑なのは、本人の手を離れた後で、同僚やあるいはお客様の手に渡った後で、時限爆弾はチクタクをはじめ、ウイルスは増殖をはじめることです。ときにはやっつけ仕事になってしまうことはあるかもしれません。でも、時限爆弾の配線がはずれていることを、ウイルスはやっつけていないことを確かめて、「やっつけ仕事」はやっつけてしまいたいものですね。

三原一幸先生に感謝。