いまを生きる

タイムマシンを発明しました。僕は自転車の荷台に巨大な風車が乗っていて、それがぐるぐる回る…そんなインチキくさいマシンに乗って過去に行きます。ピンボケだった世界が突然焦点が合ったかと思うと、次の瞬間、僕は轟音とがれきの山に包まれていました。土煙がタイムマシンを覆います。頭上で不気味な音がしています。見上げるといくつもの焼夷弾がこちらに向かって落ちてきます。僕が乗ったタイムマシンを呆然と見ているひとりの女性がいることに気づきました。一人の男性が手を伸ばし彼女に駆け寄ろうとしています。しかし、数えきれないほどの焼夷弾は今にも僕らを飲み込もうとしています。僕は反射的にその女性を抱きかかえ、タイムマシンに載せてその時間から逃げ出しました…。後でわかったことですが、その女性こそが僕の祖母でした。そして、今は亡き祖母から聞いた、「戦火で命を救ってくれたのがおじいちゃんだったのよ」という話を思い出しました。僕は祖父と祖母の運命的な出会を邪魔してしまったのです。そうなると、僕は生まれないことになります。僕の足はだんだん薄くなっていきます。まるで バック・トゥ・ザ・フューチャー みたいだ…しだいに気が遠くなる中、かすかな意識の中で僕はそう思いました。でも、ふと気づいたのです。待てよ…僕が存在しなくなるということは、タイムマシンを発明した僕もいなくなって、そうすると祖父と祖母はやっぱり出会って、そして僕が生まれて…そうなると僕はタイムマシンを発明して…祖父と祖母の出会いを邪魔して、そうなると僕は生まれないので、やっぱり祖父と祖母は…この話は永遠にどこにもたどり着けない話になってしまいます。
 
しかも困ったことに、祖父と祖母が出会い、その結果母が生まれ、やがて父と出会い、僕が生まれた…という歴史はすでに存在してしまっているのです。この事実は消すことはできません。僕がタイムマシンを発明したことによって、僕が生まれていた世界に生まれなかった世界が上書きされるのではなく、生まれた世界と生まれなかった世界がどちらも存在することになります。
この話を矛盾なく説明しようとすると、あらゆる可能性のある世界が同時に進行している…祖父と祖母が出会った世界も、祖父と祖母が出会わなかった世界も、さらには、僕が生まれた世界も、生まれなかった世界も存在している…というパラレルワールドの考えに行きつくことになりそうです。
 
この世界観をもって僕らを見るとき、運命が僕らを縛っているではなく、僕らは無数に可能性のある同時進行の世界の中から、1つを選択している…それを何回も何回も繰り返している…という姿が見えてきます。まるで、無数に広がる線路の中から、1つの線路を選んで走っている電車のようです。しかも、走っているその先にも次から次へとポイントが現れます。
過去は未来を縛り付けてはいません。そして、今のその決断により未来が固定されるわけでもありません。ポイントも線路も無数と言えるほどに眼前に広がっています。過去のポイントでの誤りを悔やんでやり直しをしたところで、結局は今の自分から仮想の自分を遠いところの追いやるだけにしかなりません。過去の失敗を今の電車に乗る自分に活かし、迫ってきている次のポイントでの決断に反映させる以外に自分を改善させる術はないのかもしれません。いくつものポイントといくつもの線路の向こうにあるずっと遠い過去のポイントでの選択の誤りを悔いたところで、それが今の線路にどれほどの影響を持っているのか…それはきっと僕らが考えるよりずっと小さいのではないでしょうか?未来を杞憂したところで、それは無数にある未来の姿のほんの1つを仮定したにすぎません。おそらく当たる可能性は限りなくゼロに近いでしょう。むしろ杞憂は僕らをそちらの方向へそちらの方向へと選ばせてしまう「悪魔の誘惑」にしかならないのかもしれません。
 
僕らにできる唯一のことは、過去の縛りも未来の杞憂からも解放されて、今のポイントの選択に最善を尽くすことなのかもしれません。過去を悔いているとき、僕らは、いまのこのときのポイントを通過しようとしている電車からいなくなることを意味しているかもしれません。未来のことを杞憂しているとき僕らは、やはりいまのこのときのポイントを通過しようとしている電車からいなくなることを意味しているかもしれません。人を憎んでいるときあるいは人に依存しているとき、僕らはいまのこのときのポイントを通過しようとしている電車からいなくなり、他人の電車で自分のものではない線路を走っていることになるのかもしれません。こわいのは、今のポイントをどちらに進むべきかを選択すべき肝心な主役のいないまま空っぽの電車が走ってしまっていることです。もしパラレルワールドに僕らがいるなら、今という持ち場を離れたらたいへんなことになりそうですね。
 

中国は今と昔が同時に存在するパラレルワールドなのかもしれませんね。(江蘇省の常熟市にて)

中国は今と昔が同時に存在するパラレルワールドなのかもしれませんね。(江蘇省の常熟市にて)