森と僕と青虫の関係について

自分の激しい息遣いに驚いて目を覚ました
開いた目に映ったのは、1匹の小さな青虫だった
彼はあるいは彼女は懸命にこのほら穴の入口に沿って足を規則正しく動かしながら、とてもゆっくり移動している
どこに向かって、何のためにそんなに懸命に移動しなくてはならないのか、僕には知るよしもない
だけどそのちっぽけな存在でさえ今の僕には救いだった
少なくてもこの空気を呼吸しているのは僕だけじゃない
青虫に僕の話が通じるかどうか確信はなかった
それでも僕はその青虫に今見た夢の話をすることにした
とにかく他に選択肢は無いのだから
 
僕はこの穴の中からじっと森を見つめていた
しだいに森のどこに焦点を合わせたらいいのかその手がかりを失っていった
どんなに焦点を合わせようとしても森はぼやけて輪郭を無くしていく
しばらくすると森の声がした
どうやら森はその成り立ちの中に僕を含めてしまったようだった
声は僕の耳のずっと奥の方から聞こえてきた
「もっともっと深く見なきゃだめだ」
 
僕は焦点を森のずっと奥の方に合せようとした
でもあい変らず何ひとつ意味のある像を結ぶことはなかった
ところが焦点を合わせようとしていたそのあたりがしだいに暗くなっていった
その暗い部分に吸い寄せられるようにその周囲が歪みはじめた
そして、自分自身もその暗い部分に吸い寄せられていることに気づいた
しかもその速度は加速しているようだ
僕はついにその暗い部分に落ちるように吸い込まれていった
 
何も見えない
自分が穴に落ちていることを確かめる手がかりは見えない
ただ僕の感覚だけが、どんどん加速する自分を感じている
そして、不意に自分の体が加速から解放されて
ふわっと浮いた状態になるのを感じた
僕は何か不思議な透明の筒の中にいた
どの方向を見ても森が見える
 
筒は規則的な振動を繰り返していた
その脈動が何かを僕に訴えている気がした
最初はそれがなんであるのかに気づかなかった
そのことに気づくまでずいぶんと時間がかかったような気がする
どうしてそこのことにすぐ気付かなかったのか
その振動は僕の鼓動とちょうど一緒であることに
 
僕の感覚はようやく平静を取り戻した
僕はふわっと浮いているわけではなかった
静かにゆっくりと穴の奥に向かって落ちていた
自分の足のはるか下…僕は今までそんな遠い距離を認識したことがなかった
それほど遠いところに、小さな光の点を見つけた
それはどうやらものすごい速さで僕に近づいてくるようだ
やがって僕はまばゆい光に包まれて、思わず目をつぶった
 
その瞬間に僕はとても大きな音を聞いたような気がしたけど
すぐにまた静寂が訪れた
目をゆっくり開けてみると
遠くに生き物がいるのが見えた
とてもちっぽけな生き物のようだ
その生き物は懸命に体をくねらせている
しかしその抵抗もむなしく、どんどんこちらに近づいてくる
 
僕は頭を何かで殴られたような衝撃を感じた
その生き物は紛れもなく自分自身だった
近づいてくるその顔は、不安そのものだった
そして僕は気がついた
でもそれがどのくらい前からそうだったのかは分からなくなっていた
僕の意識は、犬である僕ではなく、森そのものだった
僕は森となって、もうひとつの僕である犬を見ている
 
僕は泣いていた
森である僕は、もうひとつの僕である犬のために泣いていた
そして僕はもうひとつの僕に懸命に伝えようとした
「歩くんだ。とにかく歩くんだ」
でもその叫びは森のざわめきとなって犬である僕を怖がらせただけだった
それでも僕はどうしても伝えなくてはならない
僕はもうひとつの僕に向かって懸命に手を伸ばした
そのとき僕は夢から覚めたんだ
 
そう言って目の前を見てみたら、もうそこには青虫はいなかった
ふと視線を上げると、すでに青虫は垂直の壁を登り
入口の天井をさかさまになって伝っているところだった
ちょうど真ん中にきたところで
青虫のどこかの足が号令を聞きのがしたようだった
彼は体をくねらせながら、地面に落ちた
その場所はちょうど最初に僕がその青虫を見たその場所だった
 
青虫は丸まった体をもう一度伸ばし
いま一度体全体に緊張を伝え、そしてまた歩き始めた
最初に彼を見た時とまったく同じ道筋で、同じように気が遠くなるような遅さでまた歩き始めた
どこに向かって、何のためにそんなに懸命に移動しなくてはならないのか
やはり僕には知るよしもないままだった
 

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